さて、一夜明けて14日。やはり時差ぼけからは簡単に逃れられず、3時過ぎにまず目が覚め、以後覚めてはまたうとうと、というのを
繰り返した後、7時前に起床。ホテルの朝食は6時半からである。

実は、出かける前にネットで調べたところによると、このホテルの朝食はおいしい&内容が豊かなことでかなりの評判に
なっていた。ヨーロッパのホテルのコンチネンタルスタイルの朝食というと、ヘタするとパンとコーヒーのみになると聞いたことが
あったので、これはラッキーなホテルに当たったとひそかに楽しみにしていたのだが、まさに期待にたがわず
すばらしい内容。まず朝食ルームに入ると、盛り上げられた各種のパンが目に入り、右に曲がるとベーコン・ソーセージ・スクランブル
エッグ・ミートローフ、さらに各種のハム・チーズおまけにスモークサーモンやスモークド白身の魚(名前わからず)、イワシ?ニシン?の
マリネなどなど。おびただしい種類のシリアルやドライフルーツにも驚かされた。
ただ、なぜか温野菜がない。野菜といえばオバケみたいに大きなきゅうりの輪切り(最初ズッキーニかと思った)、細ーいセロリ、
トマト(大嫌い)のみで後はフルーツになる。こっちはなかなか種類豊富だったのだが、せめてゆでたジャガイモとかニンジンとかが
食べたかった。





で、肝心の味はといえばホントに申し分なし。翌日からは朝食開始時間の6時半には必ず来て、しっかりと食べさせて
いただいた。滞在中の我々の栄養はほとんどこの朝食でまかなわれてた気がする。
実は滞在中さんざん歩いたにもかかわらず、どういうわけかあまりお腹がすかなくて、外で食べたといえばサラダとかカナッペ、
スープなど軽食ばかり。彼はそれでも「それなりに」食べていたが、私は朝食以外はカフェのケーキと持っていったポテトチップだけ
という日もあった。おかげで、ウィーン太りすることなく体重は維持できたが。いえ、無理したんじゃないですよ、ホント。

そして、食事も終わっていよいよ観光へと出発。本日の第一目標はシェーンブルン宮殿である。
こことシュテファン寺院を見ずにはウィーンを語れない、とウィーンの人は旅人に言うとガイドブックにあったので、まずは正統派観光
コースとしてここへ行くことにする。ここはウィーンの中心からはちょっとはずれるのだが、幸い泊まっているホテルからは
歩いても2キロちょっとなので、ぶらぶら歩いていくことにする。

時間的にはいわゆるラッシュアワーのはずなのだが、横を通り過ぎる路面電車はどれもさほど混んでいない
人口は確かにそんなに多くないらしいが、それにしても、のゆとりぶりである。ホントに皆出勤してるのか?在宅
勤務が多いとか…なわけないよね。あるいはフレックスタイムが一般的なんだろうか。



もうちゃんと地図わかったから大丈夫よねー、とスナップしつつのんびり構えていたのだが、そろそろ見えてくるはずの頃になっても
どうもそれらしい表示に出会わない。「Auer-Welsbach park」なる公園(写真右)を横切ると、ちょうど宮殿の正面に出るはずなのだが、と
だんだん不安になってくる。そもそも古い由緒ありげな建築が多くて、いかにも宮殿の一部らしい趣を呈しているので、あれだ!と
思って近づいていくとフツーの会社だったりアパートだったりするのである。
川がここで、あっちが公園で、と、どう考えてもすぐ近くに来ているはずなのにとにかく宮殿が見えない。どこを歩いているのかも
定かでなくなってきて、不安と焦燥で2人ともだんだん無口になる。足がだるい。
そういえば京都に行ったときも、彼が「こっちだよ!」と自信満々で歩き出した方向が実はまったく逆だったな、などとよけいなことも
思い出す。まずい、一触即発の気配が漂いつつある。
…と思い始めたとき、かなたに門らしいものがちらりと見えた。あれだ!きっとあれに違いない!
足早にそちらに歩いていくと、やっぱりそうだった。これでやっとほっとするが、観光はこれからである。

シェーンブルン宮殿の建物は14世紀初頭より存在したが、もとは修道院の所領内にあったものだという。1569年以降ハプスブルク家の
所有
となり、何度かの改築・増築を重ねた結果、1740年以降のマリア・テレジアの統治下において、ハプスブルク家の権力を誇示するもの
として彼女の好みを濃厚に反映させつつ、現在の形に近いものが完成した(その後1817年〜1819年にかけて皇帝フランツT世の時代に
宮廷建築家ヨハン・アマンのプランにより外観が簡略化され、現在のシェーンブルン・イエローと言われる色彩となったとのこと)。

さらに第一次世界大戦の停戦直前、1918年11月11日に王朝最後の皇帝であるカールT世が宮殿内の「青い中国のサロン」と呼ばれる部屋で
権力放棄を内容とする声明書に署名、翌日に共和国樹立が宣言されるまで、皇帝の居城としてシェーンブルン宮殿は歴史の変遷をその内部に
刻み続けてきたのである。

中はとにかく豪華けんらんの一言に尽きる。撮影禁止なので内部の画像はないが、まさにハプスブルク家の財産をつぎこみ、贅の限りが
尽くされたそれは見事なものであった。目新しかったのは蒔絵や陶磁器など、東洋風の装飾がほどこされた部屋がいくつか
見受けられたこと。中国文化というのは、当時のヨーロッパにおいてエキゾチックな香りを放つものとして珍重されたらしい。写真は宮殿外観、
大きすぎてファインダーに収まらない!ここに限らず、今回はほとんど標準レンズ(14-54mm、実際は28-104mm)のみ。とにかく何かとスケールが
大きいのである。私にしては珍しく広角側をよく使った。

  

宮殿内部を見学後、今度は庭園を抜けてグロリエッテと呼ばれる展望テラスへ。多くの戦いで死んでいった臣下への追悼の気持ちを
こめて作られたという。この日は写真で見られるように、ピーカンの晴れでかなり暑く(ウィーンの今頃としてはかなり珍しい暑さらしい)、
グロリエッテまでの約20分の道のりをだらだらと登っていくのはなかなか大変だったが、そこからの眺めはホントにすばらしかった。
宮殿の外観を補修中(上の写真のちょうど反対側になる)だったのがちょっと残念だったが。補修が終わるのは来年夏らしいので
また来るか!などと言い合いながら、グロリエッテのカフェで一休みした後、次の目的地、シュテファン寺院に向かう。典型的観光
コースである。

写真は庭園を抜けてかなたに見えるグロリエッテとグロリエッテのカフェ、さらに食べたサラダ(すごい量!1つにして正解だった)、
グロリエッテから眺めたシェーンブルン宮殿@補修中とウィーンの街並みである。








宮殿そばのシェーンブルン駅から初めて地下鉄に乗る。ウィーンの交通機関はかなりわかりやすくできているとのことだが、
いかんせんドイツ語表示というだけで構えている我々にとっては、乗るだけでかなり緊張モノだった。何度も路線図と行き先を
確認して構内に入っていく。

ウィーン滞在中、バス・路面電車・地下鉄が乗り放題というフリーパスチケットを使った。何種類かあるのだが、我々が使ったのは
「8日間パス」という、フリーチケットが8枚つづりになったもので、これは2人で4日間、または1人で8日間などどういう使い方をしても
OKというものである。地下鉄は改札がなく、入り口にある機械で持ってるチケットに1度スタンプすると、その日は何度乗っても
後は何もしなくていいというかなりラクな仕組みになっている(写真の左側、銀色の柵?に設置されている黒っぽいのがその
スタンプの機械)。日本の電車に慣れている身としてはまことに鷹揚な仕組みに見えるが、検札係りはちゃんと車内を回っており、
最終日に目の前で無賃乗車でつかまる人を見てしまった。罰金はかなり高額とのことである、くわばらくわばら。
写真右はシェーンブルン駅、この区間は地上を走っているらしい。



おっかなびっくり乗った地下鉄だったが、車内に掲示されている路線図を眺めたりしているうちにだんだん感覚がつかめてきた。
乗り換えも難しくなかったし、何より改札がラクなのが気に入って、降りる頃にはすっかり気が楽になった。
で、降りたのはカールスプラッツという駅である。

ここはウィーンで一番の繁華街、ケルントナー通りの近くで、目的地のシュテファン寺院までは500mほど。
国立オペラ座(シュターツオパー)も目の前である。

日本で15日のムジークフェラインのチケットは確保してあったが、ダンナができればこのシュターツオパーのコンサートも行きたいと言い出し、
じゃあ現地でチケット買えたらね…ということになってたので、まずはここのチケット売り場に立ち寄る。
17日のシェークスピアの劇「お気に召すまま」をモーツァルトの音楽を使ってバレエ仕立てにしたという公演がおもしろそうなのでこれに決めて
おいたのだが、なまじ「17日」をドイツ語で言ったばかりに窓口のおじさんにドイツ語でまくしたてられ、彼は一瞬たじたじ、
私は我関せず。だって全然わからないんだもん。
座席表と料金表を出され、彼は火事場の馬鹿力か窮鼠猫をかむ(違うって)というべきか、どうやら遠い昔のドイツ語が多少よみがえって
身振り手振りもまじえた結果、無事チケットを購入できた。まずはめでたし。ちなみに1人70ユーロであった。

シュターツオーパーの周りは、モーツァルトの時代の衣装をまとってチケットを売る人が何人も。観光客と見ると声をかけてくる。
日本語で「モーツァルト、コンサートあるよ」と話しかけてきたところを見ると、日本人は上得意らしい。チケット売り場はすぐそこなのだが、
彼らはいわば「セールスマン」なんだろうか。写真左はそういう「セールスマン」の1人、右はシュターツオパーをケルントナー通りから
見たところである。




チケットも無事確保、気分よくケルントナー通りをスナップしながらお散歩。ケルントナー通りはブランドショップも多く、
まさに銀座といった感じ。そして目立つのがオープンカフェ、もう至るところにあってこれが実に絵になる。
銀座スナップ感覚でぱしゃぱしゃとシャッターを切り続け、ますますご機嫌になる私だが、お天気がよすぎて輝度差が
激しく、なかなかうまく建物と人の両方が撮れないのが唯一の悩みである。



ケルントナー通りを北にしばらく行ったところで、道が二つに分かれてシュテファン寺院が右手に現れた。
ウィーンの街中では修復中の建物が多く、かの有名なカフェ「ザッハー」(ザッハ・トルテ発祥の店)も店の周りを
ぐるっと足場に囲まれていてちょっとがっかりしたが、古い歴史をもつ街並みを保存するためにはやむを得ないのだろう。
シュテファン寺院も例外ではなく、2つある塔の高いほう、南塔がやっぱり修復中。これは1359年にほぼ65年がかりで完成した
ものだとか。第二次世界大戦では、直接の爆撃は受けなかったもののかなりのダメージがあり、戦後オーストリア各州からの寄付や奉仕で
再建されたそうである。

写真は、かろうじてファインダー内におさめた寺院(左が北の塔、右の幕でおおわれているのが修復中の南塔)と、寺院の前の広場で
「銅像なりきりパフォーマンス」を実演中のパフォーマーである。




中に入ると、荘厳としか言いようのない内部の様子に圧倒される。我々のようなお気楽な観光客に混じって
真剣に祈りをささげる人も見受けられ、ちょっと身の引き締まる思いも。
キリスト教的下地のない日本人にはちょっと「厳しい」場所といえる。祭壇の彫刻、礼拝に使うらしいさまざまな道具、etc、etc、
いずれも深い意味を持っているに違いないのだが、それが実感として理解するのが難しいのだ(これは美術史博物館などで
さまざまな宗教画、彫刻を見たときも感じた)。たとえ日本語の説明があったとしても、これは解決できなかっただろう。
頭での理解と皮膚感覚での理解の遠い隔たりを感じてしまったひとときであった。




さて、そういう感慨はさておき、せっかくなので塔に上ってみることにする。南塔は工事中だし階段を自分の足で上らねばならないので
パス、エレベーターで一気に北の塔のてっぺんへと向かう。
ここからの眺めはすばらしかった。思わずわーっと声を上げて降りてすぐカメラを構えた私に、一緒に上ったおばあさんのグループが
「もっと上があるから行ってごらん」と教えてくれた。もっとも「We are nervous」なので、自分たちは行かない、と言ってすぐ降りて
しまったらしいが。確かにエレベーターを降りた足元は金網のスケスケ(もちろんしっかりしてて危険ではないが)だったので、
高所恐怖症の人には耐え難いに違いない。ダンナはしきりに「もったいないなあ」と他人事ながら残念がってた。

我々は二人とも平気で、さらに上の展望台に向かう。グロリエッテから見た眺めもよかったが、ウィーンの街がまさに足元から
広がっている光景
はホントにすばらしく、来た甲斐があったと大感激。
映画「メリー・ポピンズ」の中で、主人公の子供たち、ジェーンとマイケルが煙突掃除のバートに連れられて屋根に上り、
ロンドンの街を見下ろして感激するシーンがあったが、まさにあの風景。思わず「メリー・ポピンズ」のナンバーの一節を口ずさんでしまう
単純な私である。


  これは寺院の屋根。モザイク模様が美しい。


寺院を出て、しばらくケルントナー通りをぶらぶら歩いていたらもう夕方。昼にサラダしか食べてないにもかかわらず、あまりお腹は
すいてなかったが、このまま何も食べないわけにはいかないだろう、ただしレストランでしっかりした食事はいらないよね、という
ことで、手軽なシーフードのお店へ。せっかくだからとお店の外のオープンカフェのコーナーへと移動、カナッペにパスタ、サラダと
ビールの夕食をとる。
カナッペは彩りもきれいでおいしかったが、サラダはどうもドレッシングがイマイチ。相変わらずおばけきゅうりが入ってる。ああ、日本の
細い小さなきゅうりが食べたい。
麺食いのダンナが頼んだ小エビのパスタに至っては、ただのケチャップ味の小麦粉のかたまりといった雰囲気で味だけ濃厚で
がっかり。ここを選んだのはお肉を避けた結果だったが、ちょっとメニューの選択を誤ったようだ。




この日はホントによーく歩いた。朝の迷子事件はあったけど、うろついたおかげで地下鉄に乗る自信はついたし、
市内のだいたいの様子、位置関係もわかって、今度こそホントに土地勘がつかめてきたようだ。
翌日はいよいよムジークフェラインでのコンサートという滞在中の一大イベントも待っている。さて、どうなるか!!
とにかく明日は明日の風が吹く…おやすみなさい。


15日へ→

Back