13日早朝、起床予定時刻は5時少し前のはずが10分過ぎに飛び起きた。成田集合は8時45分だが
家を5時45分には出ないと間に合わない。とにかく布団を上げ、パンを少しだけインスタントスープとともに
胃に流し込んで出発。メークは省略である。すっぴんで電車に乗ったのは初めてだ(成田
エクスプレスの中でそそくさと仕上げたが)。

幸い電車の遅れもなく予定通り無事成田に到着、JTBのカウンターに急ぐ。
前日に送っておいたスーツケースの引き取り・出国手続き・両替など、旅慣れた人には
なんでもないことが、我々にとってはいちいち緊張する「関門」である。
関門といえば、例の出国前の身体検査でさっそくダンナが引っかかって、靴まで脱がされて
ブ然としていた。腕時計をはずし忘れたのがまずかったらしい。
また、両替では私が思いがけず手間取り、搭乗時刻ぎりぎりになりそうであせった。

今回はパックツアーを利用してはいるが、係員のお世話になるのはあちらでの空港−ホテル間の送迎のみで
オールフリータイムの旅程であるため、たいていのことは自分たちでやらなくてはならない。
不安は尽きないが、もう考えてもしかたないので出たとこ勝負である。先ほど注意されたように、出発便の
ゲート番号をあらためてしっかり確認して搭乗口へ。さあ、行ってきます!



ところで、実は私は飛行機が苦手である。
思い起こせば初めての海外旅行が12年前のアメリカ行きだが、そのときはさらにその11年前の新婚旅行の飛行機の恐怖
(鹿児島−与論島で台風並みの低気圧に遭遇)がまだ忘れられず、機内食はまったくのどを通らず眠ることもできずに
14,5時間にわたって緊張し続けたのがいまだに記憶に残っている。

その後シンガポールに行ったりまた国内でも北海道に行ったりで、だいぶ飛行機に対する恐怖もやわらいできては
いたが、今回自分でも意外なほど落ち着いていられて、我ながらびっくり。
12時間という飛行時間は短くはなかったけれど、機内食はおいしく食べられたし、映画も楽しかったし、オーストリア航空のフライト
アテンダントの制服ってストッキングまで真っ赤だ!トイレがやっぱり「外国仕様」で(位置が)高いわ、など、しょーもないことに
いちいち感心したり、眼下に広がるシベリア大陸の眺めに「ポーリシュカ・ポーレ」の歌詞を思い出したり(知ってます?あの「雲流れる
ロシアの大地に〜」っていうの。年がわかるけど)思ったより退屈せずに無事ウィーンに到着した。

下の画像はその「ロシアの大地」と機内の様子、また着陸間近のウィーン郊外の眺め。
フライトアテンダントのアップ画像はありません、あしからず。







ウィーンは日本と7時間の時差があり、ホテルに到着したころは我々の体内時計はすでに深夜。だが
現地はまだ夕方である。
リズムを合わせるためには寝るわけにはいかない。とにかくひとまずホテル周辺でも散歩しよう、とさっそく地図を
片手に出かけたのはいいが、いくら地図とにらめっこしても、自分たちが歩いている位置がイマイチはっきり
しない。これはどうにも気持ち悪いものだ。一応用心してフクザツに道を曲がるようなことはしてなかったので迷う心配は
なかったけれど、もう眠いこともあって頭がさっぱり働かない。
かろうじて夕食(というか夜食というか)を予定していた中華料理屋を見つけることはできたけれど(せっかくウィーンについたのに
しょっぱなから中華かい!とは思ったが)、今度は胃も疲れと眠さで動かず。
彼は健闘してたようだが。

で、ホテルに戻ってようやく迷ったわけが判明した。今回泊まったのはメルキュール・ウェストバーンホフというホテルだが、
このホテル、実は最近まで別の名前だったのをメルキュール・グループが買収して自分の傘下に収めたらしい。
我々が地図を見て、ここが自分たちのホテルだと思い込んでいたのは実は別のメルキュール・ホテルだったのである。
そこから少し離れたところに我々のホテルは昔の名前で載っていた。
これでやっと考えても考えてもわからなかった気持ち悪さも解消、土地勘をつかめたぞ!
二人して喜んだのだが…実はこれが甘かったことが翌日にすぐに思い知らされたのであった。


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