やは肌のあつき血汐にふれも見で
さびしからずや道を説く君

           与謝野晶子「みだれ髪」より

 与謝野晶子(1878〜1942)は歌人・詩人。大阪・堺の老舗の商家の生まれだが、歌を通じて知り合った歌人・ 与謝野鉄幹のもとへ家を捨てて走り、彼との間に7人の子をもうけつつも文壇で大いに活躍した。

 「みだれ髪」は彼女の処女歌集だが、大胆な官能的表現によって恋愛を高らかにうたいあげ、世間の度肝を抜くこととなった。この歌は、「寂しくないの?人生は一度しかないのに恋もしないなんて。」と相手をなじっているようにもとれるし、 「この私を見て!」と大胆に迫っているようにもとれる。 いずれにせよ、明治という時代にあって、古い道徳観を ものともせず、高らかに自分の気持ちを歌い上げているところがなんとも快い。

 最近、俵万智が「みだれ髪」を自分の言葉に置き換えた「チョコレート語訳『みだれ髪』」を出版した。上記の歌は 彼女の言葉によると、「燃える肌を抱くこともなく人生を 語りつづけて寂しくないの」となっている。 現代の言葉に置きかえることで、またあらためて晶子の情熱が身近に感じられる一方、俵万智自身の「言葉」の魅力も実に素晴らしい作品である。  
 
月をこそながめ馴れしか星の夜の
深きあはれを今宵知りぬる       
 
     建礼門院右京大夫(「玉葉和歌集」より

 作者は平清盛の娘、建礼門院徳子に仕えた女性。 清盛の孫、平資盛(すけもり)と恋愛関係にあり、この歌は壇ノ浦にて平資盛が戦死した翌年に詠まれたものである。

 月を詠んだ和歌はそれこそ「星の数」ほどあるが、その 「星」を詠んだ和歌はきわめて少ない。その夜、午前二時頃 ふと目を覚まして空を見上げると星が空一面に輝き、まるで薄い藍色の紙に箔を散らしたように見えたという。 普段は月ばかり眺めてきたものだが、どうして今日はこんなに星が美しく見えるのか。亡き人を慕いつづける苦しみが なせるわざか。そう思うとまたいっそう胸に広がる作者の悲しみが、星の美しさとともにこちらにまで伝わってくるようだ。

 時は流れて、20世紀も終わりに近づきつつある現代、17日深夜から18日未明にかけて大流星群が観察できるという。天体ショー として楽しみにしている人も多いだろう。そして、右京大夫が眺めた星と同じ星が、今も夜空に輝いている。
白珠は 人に知らえず 知らずともよし
知らずとも 吾し知れらば 知らずともよし

           「万葉集」 巻六 元興寺の僧

 これはいわゆる「短歌」ではなく、「旋頭歌」といわれるもの。 旋頭歌は「五・七・七・五・七・七」という形をとり、民謡の形式の一つだったともいわれる。

 この歌は「真珠にもたとえるべき自分の優れた才能は、人には 認められない。でも、人なんか認めてくれなくていい。自分さえ その価値を知っているなら、他人が認めなくてもかまわない。」と いうもの。作者はまだ若い僧だろうか、「白珠(=真珠)」とは大きく 出たものだが、「吾し知れらば 知らずともよし」と言いきりながらも、 悔しくてたまらない気持ちがにじみ出ているのが、見ようによっては ほほえましい。

 が、ところかわって千年以上の時を経た今の日本。不況の 出口は見えず、思うような職につけなかったり、不意に職を 失う人は増加の一途。「吾し知れらば 知らずともよし」とでも つぶやいて、せめてもの慰めにでもするか。こうなると何とも わびしい歌の風景ではある。
摩れあへる肩のひまより
わつかにも見きといふさへ
日記に残れり

           
石川啄木「一握の砂」より

 石川啄木(1886〜1912)は明治期の歌人・詩人・ 評論家。「一握の砂」は1910年に出版され、3行書きという斬新なスタイルの点でも話題を呼んだ。この歌は、「秋風のこころよさに」と題された一連の歌の中 の一首で、おそらくかつての恋の思い出を振り返ったものだろう。

 その人のことが気になって、姿を追い求めずにはいられない。ちらりとでもいい、見ることができたらとりあえずは満足する。が、気持ちはうわのそらのまま、その人のことを考え続ける。明治という時代、声をかけるなど思いもよらず、人の肩ごしにほんのちょっとだけ 姿を見かけた、というだけでどんなに心躍るできごと だったか。

 恋のスタイルは時とともに大きく変わり、現在では 啄木の頃からは想像もできないほど自由になった。 異性と話すことなど当たり前、いったん付き合い始め たら人目もはばからず手を握り抱擁し…という現代の 若者でも、恋が「実る」まではたかが姿を見た、見な かった、ということだけで一喜一憂することもあるはず。

 そしてそういう恋の始まりのせつなさは、また時を経て 振り返ってみることで完結し、誰にでも共感されうる 思い出となる。
憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむ
それその母も吾を待つらむぞ

           
山上憶良「万葉集 巻三」

 山上憶良(660〜733)は、奈良初期の歌人。宮中にあって 要職を歴任、遣唐使として唐へも渡った経験を持つ。歌も万葉集に約80首が残されているが、「社会詩人」と言われている ように、「人生」や「人間愛」、また「社会」を多く歌っている点で 異色の存在といえる。

 この歌は宴席で歌われたといわれているもの。「罷(まか)らむ」 とは、「退出する」意の謙譲語で、「わたくし憶良めはもう失礼いた しましょう。うちの子供たちが泣いているでしょうから。それに その母親もわたくしを待っているでしょう」といった程の内容である。 他愛もないといえばそれまでだが、「らむ」の繰り返しの口調の よさが歌に軽妙な味を出しており、「うちの子が待ってますんで」と 言ったすぐ後に続けて「いやー、女房も待ってますんで」とぬけぬけ と言っているのがおもしろい。おそらく、最後の句を聞くやいなや、 「よく言うよなあ」と一座はどっと沸いたことだろう。

 憶良の歌としては、「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」が有名だが、その子供を失った ときの悲嘆をうたった歌は、千年以上の時を経てなお人の心に 突き刺さるような生々しさを持っている。上の歌では家族を引っ張り 出しておどけてみせているような彼だが、その愛情は並々ならぬ ものがあったに違いない。  
弾道ミサイル頭上越えしとう時刻
われは花瓶の水こぼしおり

      
宮原 久美 9月28日付「朝日歌壇」より

 先ごろ、北朝鮮より発射された「ミサイル」がひとしきり話題に なった。花を生けた花瓶の水を取り替えるという、ごくありふれた 日常のひとこま。まさにそのとき、自分の頭上をミサイルが飛んで いたと後で知った、というのである。

 部屋に花を飾るのは、生活の中のささやかな楽しみ。まだ暑さが 残る季節、花瓶の水はこまめに替えてやらないと、花はじきに 生気を失ってしまう。そうしていたわってやっても花の命は 1週間も持たないが、みずみずしい花びらの色を眺めるのは、 たとえわずかの間でも心をなごませてくれる。

 だが、一発のミサイルはそういう人の日常を容赦なく打ち砕 いてしまう。もし、あれが町中に落ちるようなことがあったら、 海で働いている人の船や、飛行機に命中するようなことがあったら。その瞬間まで人は何も知らない。その瞬間の次に広がるのは ただ暗闇ばかりである。

 以前、「明日−tomorrow−」という映画があった。長崎で原爆死 した人々の、永遠に来なかった「明日」を描いたものだが、この 映画を引き合いに出すまでもなく、考えてみればその「明日」が 必ず来るという保証はどこにもない。あの阪神大震災のときにも、 私達はそのことを思い知らされたはずだった。が、今回の騒ぎは、 一つにはすっかりそのことを忘れていたからではないか。

 ごく危うい均衡の上に成り立っているような、不安定な「日常」と いうもの。だからこそ、たとえ平凡といわれようと、ささやかな営みの一つ一つが愛しい。花瓶に生けた花の美しさ、それに目を とめ、その色をめでることの出来る毎日でありたい。
白玉の歯にしみとほる秋の夜の
酒はしづかに飲むべかりけり
                            若山牧水「路上」より

 若山牧水(1885〜1928)は旅と酒を愛した歌人として知られる。 この歌は、25歳の時のもの。恋愛と生活上の苦悩から、彼はこの年の9月から約二ヶ月間、甲州〜信州を旅した。この歌は、信州 小諸で詠まれたものと思われる。

 「白玉」とは「白い美しい玉・真珠」などを指すが、あどけない 幼児ならいざ知らず、酒を飲むような大人の歯を「白玉の」と形容 するのは、少々面はゆい。  だが、「白玉」の清新なイメージと、「しみとほる」「しづかに」 と連なっていく「し」の音の繰り返しによる口調の良さが歌全体を 美しく整え、それこそ読み手に「しっとりと」伝わってくるものがある。

 秋は、夏の激しさを経てほっと一息をいれる季節。目に映るすべ てのものがだんだん落ち着き、穏やかになっていく。仲間でにぎや かに楽しむ酒もいいが、夜、読みかけの本とともに、一人で静かに グラスを傾けるのも秋にはいいもの。今宵あたり、牧水の歌集を かたわらにゆっくりと一杯…ということにしようか。  
あひみてののちの心にくらぶれば 
昔はものを思はざりけり         
                権中納言敦忠「拾遺和歌集」より

 小倉百人一首の一つとしても有名な歌。「あなたに実際に会った 後のせつなさときたら、以前の恋心なんて比べ物にならない」と、 会ってますますつのる思いを訴えた歌、というのが普通の解釈で ある。が、一方で、やっと思いをとげたところ、あれほどまでに燃え さかっていた思いが逆に急速にさめてしまったむなしさをうたった もの、という解釈もある。一つの歌がまったく正反対の解釈をされる、 という例だが、この二番目の解釈が私にはおもしろい。  

 この歌は、もしかしたら何度か逢瀬を重ねた後に詠まれたものか もしれない。最初は夢中で恋人のもとへ通ったものの、あるとき感じた ふとした違和感…それが時がたつにつれ、魚の小骨のようにちくちく と感じられるようになる。だが、それだからといってあっさり別れてしま う気にもなれない。だが、かつてのように一直線にのめりこむことも できない。そんなある日、ふと浮かんだ歌--と言ったら、あまりに 現代的解釈にすぎるだろうか。  

 「昔はものを思はざりけり」--このフレーズは何ともいえない多くの ものを含んでいる。淡い後悔に似た思いがある一方で、かつて の一途な思いを抱いていた自分に対するいとおしさも、私には感じられる。「あの頃は単純だったなあ」というほろ苦い思いの一方で、 一途に燃えていた頃を懐かしむ思い、とでも言おうか。  

 こういう恋を重ねて、人はだんだん「わけしり」の大人になっていく。 「昔はものを思はざりけり」--「あふ」のは、恋とは限らない。いろんな ことに出会い、経験を重ねていくが、どこまでいっても振り返ったとき 口をついて出るのは、「昔はものを思はざりけり」という言葉なのかも しれない。淡い後悔と、その時の自分に対するいとおしさを込めて。
「こ・ん・に・ち・は」そっとキーボードをたたく
初めて会った言葉のように

             「俵万智のハイテク日記」より

 「ASAHIパソコン」(朝日新聞社)に89〜91年に連載された、俵万智の パソコン体験をつづったものに載っていた一首。マニュアルと首っ引きで おそるおそるキーを押してみて、初めて画面に文字が並んだときの驚き、そして自分の書いた言葉が「活字」になって出てきたときの感動。

 今となっ ては当たり前のようにほぼ毎日たたいているキーボードだがこの歌に 出会って、久しぶりにあの頃のことを思い出した。「冷たい」「味気ない」と評されることも多いワープロの文字だが、その人のことを思い浮かべ、 慎重 に言葉を選びながらキーボードをたたくのは、ペンを持って書いていく行為 と何ら変わるところはない。

 そして、この「メール」という、人と人を近づける不思議なるもの。この先、こういうツールはどのように発展していくのか、実に楽しみである。
会うまでの時間たっぷり浴びたくて
各駅停車で新宿に行く

        俵 万智 「サラダ記念日」(1987)より

 24歳で出した処女歌集の中の作品。和歌の定型におさまっていながら自由で伸び伸びとした歌いぶりや、からりとした 新鮮な感覚が話題を集めた。

 この歌は恋人との待ちあわせ場所に向かっ ているところを詠んだものだろうが、一刻も早く恋人に会いたい気持ちの一 方で、会う前のはずんだ気持ちにずっと浸っていたいと思うのもまた恋の不思議なところ。

 ここには「もしかしたら来ないのではないか」という不安はみじんもない。相手を信頼しきっている安らかさが「各駅停車」で行くというゆとりを生み出している。
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