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二十歳とはロングヘアーをなびかせて
畏れを知らぬ春のヴィーナス

    俵万智「チョコレート語訳『みだれ髪』」より

  (その子二十歳櫛に流るる黒髪の
    おごりの春のうつくしきかな
             与謝野晶子「みだれ髪」より)

 昨年出版された俵万智の話題作からの一首。与謝野晶子の歌のいわば現代語訳だが、彼女独特の言葉の置き換えで、原作の趣を一段と発展させたおもしろさに満ちている。女性の元気さはすでに言い古された感があるが、特に最近の若い女性のエネルギーは まさにあふれんばかり。「畏れ」とは、「神仏などに対する慎み・はばかりの気持ち」のことだが、確かに元気に闊歩する彼女達は、時に傲慢とさえ見えるほどの屈託のなさだ。

 そして1月15日は成人の日。着慣れない振袖に身を包んで、また多くの新成人が誕 生する。「畏れを知る」ことは必要か否か、論の分かれるところだろうが、確実なのは「春のヴィーナス」でいられる時は決して長くはない、ということ。だからこそ人は「ヴィーナス」についてあれこれと言わずにはいられない。かつての自分を振りかえりながら。
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて
咲かむとすなり山桜花  
                          (若山牧水「山桜の歌」より)

 若山牧水(1885〜1928)37歳のときの作品。前の西行の歌の項にも書いたが、このヤマザクラこそ古来人々に愛され、様々な 歌に詠まれ、絵に描かれてきたものである。

 牧水はこのヤマザクラをことのほか愛し、「山桜の歌」の中にはこの花をうたった16首の連作を収めた。この歌は、その中でも特にすらりと一息に詠み下した口調のよさ、またそこに凝縮された世界の美しさで有名なものである。

 ヤマザクラの魅力は、そのほとんど白に近い花と赤褐色の葉の取り合わせだろうか。ソメイヨシノが花のみで咲くのに対し、ヤマザクラは まず葉が先に出てくる。そして、赤褐色の葉が少し伸びたところで花が 開き、花の間に葉が見え隠れして、ソメイヨシノのあでやかさとはまた 一味違った、楚々とした可憐な印象がある。

 ソメイヨシノは東京ではすでに盛りを過ぎたが、ヤマザクラはまだこれからのところもあるようだ。桜にはまだまだ他の種類も多い。ソメイヨシノばかりではなく、他の桜にもちょっと目を向けてみては いかがだろうか。「お花見」の宴会には向かないかもしれないが…。  
鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は
美男におはす夏木立かな     
               
   ( 与謝野晶子「みだれ髪」より )

 鎌倉の大仏といえば有名な観光名所。この大仏は鎌倉市の 高徳院(浄土宗)にあるもので、現在国宝に指定されており、 「金銅阿弥陀如来座像」が正式名称なので厳密には「釈迦」 ではないのだが、それはここでは問うまい。 普通、大仏といえば「大仏殿」といわれる建物の中にあるのだ が、ここは1495年の津波で大仏殿が倒壊して以来、現在のように青空の下にそのまま座っておられるとか。

 時すでに五月の半ば、新緑のみずみずしさが春から初夏への季節の移り変わりを告げている。抜けるような青空の下、 鮮やかな緑と見上げるばかりの大仏と。海から吹いてくる心地よい風もあったに違いない。「御仏(みほとけ)なれど 美男」と言いきった晶子のちゃめっ気が愉快で、いかにも この季節にふさわしい、さわやかな歌である。

 そういえば、「枕草子」にも「法話を説く僧は美男がよい」 というくだりがある。美男の僧の法話を聴き、拝む対象も 美男の仏様、となれば、何とも結構な話。
あり果てぬ世にはあれども今はとて
命惜しみし人しかなしも

            
(「井関隆子日記」より)

 井関隆子(1785〜1844)は幕末の武家の女性。先日のセンター試験に彼女の日記が取り上げられたが、これは その中にあった一首である。

 この歌が載っているのは天保13年(1842)2月21日の記述部分で、隆子は58歳、病死した夫・親興の17回忌に寄せる思いがつづられている。歌の意味は、「ずっと生き永らえることはできないこの世だけど、 死を迎えたその時、命を終えることを悲しんだあの人がいとおしい」というもの。 「かなし」は、「悲し」ではなく、「愛し」と書く。 夫・親興は、病が癒えたあとのささやかな楽しみをあれこれと思い描いていたが、それがかなわないことを知って嘆き悲しんだという。

 彼女は契沖(国学者)の言葉を引き合いに出して、「いまわの際にいかにも悟ったようなことを言って命を惜しまないのは、人の真実の姿ではない、というのはまったくその通りだ」と述べ、さらに白楽天(中国の詩人)がこの現世に心をひかれるところなどありはしない、と言って いるがそれも本心ではなく、「だいたい悟りなどというものは言葉の上のことだけで、もし本心からそう思っているならば、その人はもともと生まれついての愚か者、情愛というものを知らない馬鹿者に違いない」と 断じている。

 この時代、すでに外国船も日本周辺に出没し、町人も次第に勢いを 得つつあったが、まだまだ「散り際のいさぎよさ」を美徳とした武士の 価値観は生きていたと思われる。そういう中にあって、命を惜しんだ 夫を限りなくいとおしんで、その無念さを思いやり、契沖や白楽天も 引き合いに出して「悟り」のうそくささを喝破した彼女の見識は、実に 見事であり、率直な感情の表現が、読むものの心を打つ。

 井関隆子は、この二年後に世を去った。「井関隆子日記」は、昭和47年に深沢秋男氏によって見出されたもので、現在も 研究、調査が続けられている。
(なお、今回は深沢秋男「井関隆子の人と文学」を参考に しました。)  
願はくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ

       西行 「山家集」より

 西行(1118〜1190)は、漂白の歌人として知られる。もともとは 武士だが、23歳の若さで突如出家、以後仏道の修行に励むかたわら 和歌にも精進し、多くの歌人との交流も重ねた。彼の歌は花と月を 詠んだものが多く、これもその一つで、意味は「願いがかなうなら、桜の下で春のさなかに死にたい。釈迦が入滅した、その2月15日の 満月の頃に。」というもの。

 2月に桜とは、と思うだろうが、これは旧暦によるもの。現在とは約1ヶ月半〜2ヶ月ほどのずれがある。また、ここで詠まれている桜は いわゆる「お花見」で人気のあるソメイヨシノではなく、ヤマザクラ。 日本人が古来愛してきたのは、このヤマザクラの方である。ソメイヨシノの歴史は意外に浅く、明治初年に東京の染井から広がったものだとか。ヤマザクラは、赤茶色の葉が花と同時に芽吹き、 淡紅色というよりほとんど白に近い花との取り合わせが非常に美しい花である。

 満開の桜と月と。これ以上望みようのない最高のシチュエーションとも言える。「満開の桜の下には死体が埋まっている」と言ったのは梶井基次郎だが、特に夜、満開の花を見上げると、美しいというより一種引き込まれるような妖しさが桜にはある。その桜の花に包まれるように、月に見守られながら死ぬことができたら…確かにそれは「幸せな死に方」と言えるのかもしれない。そして、実際に西行は、ほぼ望みどおりに1190年2月16日、河内の弘川寺で73歳の生涯を閉じた。
卒業へのカウントダウン 三月は
「キロロ」の歌の似合える校舎 
                  (長尾直子 3月22日「朝日歌壇」より)

 何年か前、入学・卒業を9月に持ってきてはどうか、という論が巻き起こったことがある。外国のそれに合わせるのが国際社会の中では都合がよかろうということだろうが、いつのまにかこの話は消えてしまった。よかった、と思う。

 冬が終わり、いろんな命が生き生きと活動を始める春に、この 入学・卒業を迎える、というのは他のどの季節よりふさわしい。そうはいっても長い日本列島のこと、4月に至ってもまだまだ 春を実感できない場所もあるだろうが、3月の終わり頃から 桜も人の話題に上り始め、なんとなく気持ちが春めいてくる。

 そして、まず卒業式。作者は高校生だろうか、今まで何とも思わず 過ごしてきた校舎が、あとここで過ごすのは何日かと数える頃になると、急にいとおしくなる。作者の頭の中に浮かんでいるのが「キロロ」のどの歌かはわからないが、ピアノの調べに乗せて伸びやかに響く歌声と、卒業間近の校舎を見つめる作者の取り合わせ、映画かテレビドラマのワンシーンのようだ。

 作者はきっと充実した学校生活を送ることができたのだろう。 彼女の4月からの新しい出発、幸多いものとなりますように… 心から願わずにはいられない。  
ケータイもメールも未だ欲しくなく
わたしのきもちはゆっくり届く
   
(瀬戸 周香 5月16日「朝日歌壇」より)

 携帯電話が「ケータイ」「ケイタイ」とカタカナで軽く呼ばれるようになったのはいつからだろう。街を歩けば至るところで電話を耳に 当てながら歩く人を見かけるこの頃。若者に絞れば、その普及率は 7、8割にまで達するのではないだろうか。

 宇多田ヒカルの「Automatic」には「アクセスしてみると 映るcomputer screenの中チカチカしてる文字 手をあててみると I feel so warm」 という歌詞がある。ケイタイやメールで楽しむコミュニケーションについて、批判的 な意見もしばしば耳にするようになったが、パソコンの画面に映るメッセージを「so warm」とする感性も確実に育ってきている。新しいコミュニケーションのスタイルをやみくもに否定するようなことは 避けたい。

 だが、そういう新しいスタイルが定着しつつある中、手紙など「ゆっくり」 届くメッセージに逆に新鮮さを感じるのも確か。実際、普段メールを やりとりしている相手から自筆の手紙をもらうと、じんわりと伝わって くる気持ちが普段にましてうれしい。この歌の作者も決してケイタイや メールを否定しているのではなく、メッセージそのものに込める気持ち 以上のものを相手に伝えたいと思っているのだろう。 「わたしのきもちはゆっくり」と、優しい丸みを帯びたひらがなを並べて いるあたりに「届けたいもの」が表れているような気がする。  
ひとりだとあんなにやさしい肩になる
放課後の窓に頬杖ついて

        (神野志季三江  7月4日「朝日歌壇」より)

 作者は中学校か高校の教師だろうか。ひとしきり生徒達と言い争った後、教室をふとのぞいたら先ほどの生徒が一人、興奮して肩をいからせていたのがうそのように穏やかな様子で、一人ぽつんと頬杖を ついて窓の外を眺めているーーといった情景か。 情景そのものはありふれているけれど、大勢で目をとがらせていた 時の姿と、一人ぽつんと座っている後姿のシルエットの違いに気づいた作者の視点には感嘆せずにいられない。

 「肩をいからす」「肩入れする」「肩を落とす」「肩の荷を下ろす」「肩で 風を切る」「肩を持つ」など、「肩」を使った慣用句は多い。力んだり、 緊張したりすると自然に肩に力が入り、ほっとしたり気がゆるむと 力が抜ける、そんな人間の生理が生んだものだろうが、「肩」のシル エットに着目することで、慣用句に頼らなくてもその人間の気持ちをすっと言い表せるのがおもしろい。

 「肩」のみならず、人間の体の一部分を用いた慣用句は多いが、最近はあまり用いられなくなったものもある。言葉は生き物、ライフスタイルや時代の変化につれてまた変わっていくのも当然だが、人があまり 自分自身の「体」を使わなくなりつつあるこれから、どんな言葉が残り、受け継がれていくのだろう。
からみつく視線という名の藻のなかを
酸素欠乏の熱帯魚ゆく

          (俵万智「チョコレート革命」より)

 西日本や北海道は大雨のようだが、関東はこのところ 猛暑が続いている。澄んだ青空から降ってくる太陽光線が 痛いようだ。外に出るともわっとした熱気が体を包んで、 空気がゼリーのように重たく感じられる。

 この歌は、「だあれもいない」と題された、不倫の情景を 詠み込んだ連作の中の一つ。 他人の「視線」が 「からみつく」ように感じる、とは、どこかで感じている負い目が 無意識に表れたものか。自分にとってかけがえのない愛であっても、無条件で他人から認められるものではない。その閉塞感が、伸び放題に伸び、からまりあった藻の中を泳ぐ熱帯魚を連想させている。

 夏の日ざしに熱せられた、ゼリーのかたまりのような空気を 吸う息苦しさにも似た愛。秋の涼しさを感じる頃になれば、 少しはこの息苦しさもやわらぐのだろうか…。
秋立つは水にかも似る
洗はれて思ひことごと
新しくなる     

  (石川啄木「一握の砂」より)

 今年の夏は暑かった。来る日も来る日も30度をはるかに超え、天気予報を見ればずらっと並ぶ晴れマークが恨めしかったが、 このところやっとしのぎやすくなり、朝晩の空気の心地よい 涼しさに、秋を実感できるようになってきた。さすがにもう9月である。

 涼しくなってくると、今まで暑い暑いとだらけていた気持ちも何となく引き締まるようだ。ねばりつくような湿気もなくなり、体を動かすのが さほどつらくなくなって、何か新しいことも始めてみたくなる。 涼しい風に気持ちが「洗はれて」、すっきりとしたためだろうか。 春という季節は、寒さに縮んでいた手足がやっと伸び伸びと動き出すような解放感があるが、この秋という季節も、それとは一味 違った新しい気分になれる、「出発」にふさわしい季節なのかもしれない。

 先日函館を訪れて、啄木直筆の原稿や手紙、また彼に関する 様々な資料を目にすることができた。友人に宛てた手紙の思い 入れたっぷりの文章と、就職の際に書いた履歴書では、字体まで 全く変わってしまっているところがおもしろかった。病気と貧困に生涯悩まされ、職も次々と替えざるを得なかった啄木が、秋風に洗われて新しくした「思い」とは、どんなものだったのだろう。

 27歳の若さで没した彼は、現在函館の立待岬にある一族の墓に、 妻子とともに眠っている。
人ならば吾をさいなむ『運命』に
をどりかかりて咽喉締めましを    
     
       半田良平(1887〜1945)

 もし『運命』が人の形をしていたら、躍りかかってそののどを締めてやるのに、という意の歌。
作者は、5人の子のうち次男を昭和17年、長男を18年に失い、さらに 昭和19年に三男がサイパンで戦死する。自身もこのとき病床にあり、昭和20年5月に57歳で死去。

 詠まれた正確な時期ははっきりしないが、5人の我が子のうち3人までを失うという『運命』の非情さ、しかも自分の 健康もままならず、まさに血を吐くような思いでつづった31文字ではないだろうか。

 先日、トルコ、台湾と大きな地震が相次いで起こった。まだ 記憶に新しい阪神・淡路大震災と同じ光景が繰り返しテレビ 等で伝えられ、りつ然とした人も多いだろう。被災者の方々が、 どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか…という答えの出ない問いを繰り返し、せめてこの怒りのやり場があったらと、居ても立ってもいられない思いにかられたであろうこと は容易に想像できる。

 どうにもならない『運命』というもの。「運命は自分で切り開くも の」という考え方もあるが、起こったことをただ受け入れるしかないときもある。そして明日、いや、1時間、1分後の『運命』 でさえ、知る人は誰もいない。
インターネットの海にメールを流すという
淋しき遊びに興ずる生徒ら

        (愛川 弘文 10月31日「朝日歌壇」より)
 
 「ボトル・メール」というソフトがあり、ちょうどびんに手紙を詰めて 海に流すように、メールの相手を特定せずに発信し、その返事を 受け取ることができるという。ただし、不特定多数にいっせいに 流すのではなく、相手はあくまで一人。メッセージも絵が主体で、相手が日本語を解さなくても内容がわかってもらえるようになっているとか。作者は高校か中学の教師か。目の前の「生身」の人間ではなく、 顔も名前も知らない人物を話し相手として選ぼうとしている生徒たちに、「孤独」を感じているようだ。  

 この種の感慨は昨今よく言われるところ。自分の都合でいつでも 打ちきることのできるネットでのコミュニケーションがホンモノと言える のか、人の気持ちを本当に思いやることのできる人間になれるのか、 などなど。だが、そういう懸念をよそに、ネットを気軽なコミュニケー ションの手段として楽しむ人は増える一方だ。  

 「ボトル・メール」の製作者のサイトをのぞいてみた。その弁によると「ボトル・メール」とはいわば「ボール」であり、そのボールにある「ルール」を追加することによって、サッカー・バレーボール・野球・バスケ…と 様々なスポーツが楽しめるようになるという。利用者のイメージと運用の仕方次第、ということだ。  

 まだまだ発展途上のネットのコミュニケーション。確かに生身の人間 同士の関わり方を忘れてしまうようでは困るが、人との関わり方の選択肢 が増えたと考えればまた違ったとらえ方もできるだろう。どのように発展していくか、もうしばらく見守りたい。  
若ければ道行き知らじ賄(まい)はせむ
黄泉の使 負ひて通らせ         
        
        (「万葉集」より 山上憶良)

 「幼いので道がわかりますまい。御礼はしますから、どうぞおぶっていってやってください、あの世のお使いの御方。」 幼いわが子を失った親の悲しみがあふれた歌である。山上 憶良は家族への愛情をうたった歌を多く残しているが、わけてもこの歌は、幼くして死んでしまったわが子を前に、悲しみ をどうしていいかわからない親の気持ちがひしひしと感じられて、読む者の胸をしめつける。

 先日、わずか二歳の女の子が無残に命を奪われる事件があった。また、ダンプカーにひかれて八歳の男の子が亡くなり、両親が公正な裁判を求めて奔走、ついに運転手が起訴されるに至るという事件もあった。もう一度元気なわが子をこの手で抱きしめたい。それがかなわないのなら、せめてあの世で幸せに暮らしていると信じたい。だけど、こんなに幼くてはあの世への道もわからないのではないか。 他人では思いもつかない親ならではの気持ちが、「黄泉の使」に「賄をせむ」という言葉にこめられて、限りない重みを持つ。

 5年前、私の親友の坊やが信号無視の車にはねられ、わずか5歳の命を失った。通夜、告別式と、悲しみのあまり涙も流さず、ひっきりなしに坊やに話しかけ続ける彼女の姿が今でも忘れられない。彼女のそのときの思いが、まさにこの歌に凝縮されている。