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笑って笑って家族の絆強めあう
妹二人の震災死から       


徳永裕美 「現代学生百人一首」より

  平成7年1月17日午前5時46分、阪神地区を震度7の激震が襲った。その日が近づいて、新聞やテレビに震災関連の話題が あふれているようだが、1月17日が過ぎると、またこの話題が遠くなっていく。あれから5年がたつものの、まだまだ復興しきれていないという話ももれ聞こえてくるのだが。

 「家族の絆」とはよくいわれるありふれた言葉の一つ。普段は ほとんど意識することはないけれど、それを揺るがすようなことが 起きて初めてその存在に気づく。高校3年生の作者の妹といえば、 当時10歳前後の少女であろう。どんな命であろうと尊いことに 変わりはないが、若い命であればいたましさが一段と募る。そして 一人失ってもつらい家族の命が、二人まで奪われたとあれば、残された家族の嘆きはいかばかりか。  

「笑って笑って」というが、この作者の一家が「笑える」ようになるまでにどのくらいの時間が必要だったことだろう。「簡単に『がんばれ』と言わないで欲しい」という訴えを、地震の後に何度か見かけた。どのくらいの時間を経た頃からか、やっと互いに「笑える」ようになったとき、作者はあらためて「家族の絆」を実感したのだろう。  
そして、その時点で作者の家族はやっと新しい一歩を踏み出したといえるのかもしれない。

震災で亡くなった約6500の命、それぞれの命のゆかりの人々の数はその何倍にも上る。それぞれの思いがまた新たによみがえる、 あれから5年。  
お日さまのやうな子が来て苺もぐ
        前田達江 NHK俳句大会より

 まだ北風は冷たいけれど、陽射しはもうどことなく春めいてきた。苺は、最近は一年通して見ることもできるけれど、 あの香りはやはり春のもの。つやつやとした鮮やかな赤も春がよく似合う。  

 「お日さま」にたとえられているのは、おそらく2,3歳ぐらい の子か。幼い子供は、家族の中の太陽のようなもの。 かわ いいしぐさや言葉が笑顔を誘って、まわりを明るくしてくれる。幼児が苺をもいで食べている、というだけの句だが、子供と 苺の愛らしい組み合わせが絵として目の前に浮かびあがり、 さらに「お日さまのやうな」という形容が、どんなに言葉を尽くしても語りきれない子供の可愛らしさ、明るさをみごとに表して いる。

 評でも「子供も苺もキラキラして快い」とある。春の陽射しを 受け止めて輝く苺、それを小さな指でもぎとって口に入れる 子供。そして、それを笑顔で見守る家族の温かいまなざしと、まさに「春」のあふれた句である。
花道を杖もて歩む静(しずか)われ      
 昔を今になすよしもがな

                   (鶴見和子「回生」より)

作者は1918年生まれの社会学者。95年12月24日、 突然の脳出血のため半身不随となり、現在はリハビリに励む毎日と聞く。 学者として研究に励むかたわら日本舞踊を趣味とし、花柳流名取の腕を持つが、この歌は92年 6月に国立小劇場で「賤の苧環(しずのおだまき)」を踊った ときのことを回想して作られたものという。

「賤の苧環(しずのおだまき)」は、源義経の愛妾・静御前が、義経が追われる身となったのち、頼朝に召し出されて舞を舞うよう強いられた際に、
「しずやしず しずのおだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな」と歌って舞った、という物語を題材にした舞踊 と思われる。「苧環」とは、糸にした麻を巻いたもののこと。 布を織るとき苧環がぐるぐる回るように、世の中もぐるぐる回って 幸せだった昔を今に戻すすべがあってほしい、という意味がこめられている。その静御前の舞いをかつて舞った自分であるのに、今は半身不随となった身を少しでも動かすべく、杖をつい てリハビリに励む毎日。あの頃に戻るすべがあったらどんなに いいだろう、という作者の感慨が、義経を慕う静御前の思いと 重なって、深いためいきとともに吐き出されている。  「昔を今に なすよしもがな」ーー思いの深い浅いはあるにせよ、似たような 感慨はだれしも覚えのあるところかもしれない。

 ただ、一言付け加えておくと、「回生」は決して「後ろ向き」の思いばかりをつづった歌集ではない。「回生」は、倒れた直後 からほとばしり出た歌の数々を収めてあるが、「もしわたしが 脳出血で倒れ、その後後遺症として左片麻痺という半死半生 の身にならなかったら、歌の復活(注:作者は若い頃、一時 歌人の佐佐木信綱門下にあった)はありえなかっただろう。『回生』以後歌は絶えることなく湧き上がってくる。今のわたしにとって 歌はわがいのちである。」(「回生」のあとがきより)ともあるとおり、研究は続けられなくなっても、あるときはユーモアさえ交えてその 時々の「思い」を歌に託し、自身の「命」を見つめておられる。  

私は学生時代、鶴見先生の授業を受けたことがあるが、小柄な和服姿の背中がしゃんと伸びて、めりはりのある声できびきびと講義される姿は今でもよく覚えている。「回生」は、まさにそういうかつての先生の姿がほうふつと浮かんでくるような歌が満ちあふれた歌集である。  
去年の秋漬けし林檎酒飴色にかわる
それだけ君と過ごした

      
(伊東敏恵 11月5日「朝日歌壇」より)


 今年もリンゴのおいしい季節がめぐってきた。八百屋の店頭にはさまざまな種類のリンゴが所狭しと並べられている。
 果実酒は、時がたつにつれだんだん色が濃くなるものが多く、リンゴも例外ではないようだ。去年二人で暮らし始めたとき、新生活の弾む心のままに思いついて漬けてみた林檎酒、その色が気がついたら飴色に変わっている。二人の生活も、気がついたら1年という年輪を刻んでいる・・・まだ始まったばかりともいえる二人の「歴史」をいとおしむ気持ちが、じんわりと伝わってくる。

 そして、新婚生活に浮き立っている若夫婦というよりは、ある程度年を経てやっと二人での生活をスタートさせた、大人同士のカップルを連想させる不思議な落ち着きが漂っている、と思うのは私の考え過ぎか。高村光太郎の「智恵子抄」の中の「梅酒」という詩に、

 死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
 十年の重みにどんより澱んで光を包み、
 いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。

という一節がある。時を物語る果実酒は、若者よりある程度年をとって「時」の重みを知るようになった大人にこそふさわしい気がする。
ストーブに埃焦げる香、冬はいつも
 記憶をたぐるように始まる

         (神野志季三江  11月26日「朝日歌壇」より)

 季節は12月。遅く始まった紅葉もさすがに終わりに近づき、我が家の窓から見えるイチョウの木もすっかり黄金色になって、葉の数も日に日に少なくなりつつある。

 冷えを感じるようになって、その年初めてストーブに火をつけたときのこと。きれいに掃除してしまってあったはずだけど、どうしても入り込む埃の焦げる香り、それはまさしく冬のにおい。今年もこういう季節になったのだと、ふっと去年の冬のことを思い浮かべる。

 季節に合わせていろんなものを出し入れし、それを見て去年のことに思いを馳せるのは別段珍しいことではないけれど、「冬のストーブ」となるとそこに何か「懐かしさ」を感じてしまうのは、ぬくもりが恋しくなる頃の感傷とでもいうべきか。

 今年も余すところあとひと月。20世紀最後の月ということで、何かと騒ぎ立てる向きもあるようだが、いつもに変わらぬ年の暮れを迎える人の、いつもと同じ営みもまた多いはず。