一夜明けて24日の朝。昨日まで滞在したホテルは、プラハでもウィーンでも朝食は6時半からだった。都市から都市へと
バスで移動する団体観光客の利便のためか、はたまた都会ならではのことか。だが、このホテルは朝食は8時、玄関の
ドアが開くのは7時からだという。
 そういえば日本のペンションなどは特別に希望しない限り朝食の時間はそんなものだったかな。それならと日本の
感覚で思いついた朝の散歩だったが、いざ外に出てみると人影はまったく見当たらないし、山に囲まれているせいか、
7時だというのにまだ外もなんとなく薄暗い。昨日にぎわっていたマルクト広場もご覧の通りだ。厚手のシャツに
ウィンドブレーカーを羽織ったくらいがちょうどいい冷え込み具合で、ともあれ昨日はまったく足を向けなかった山のほうへ
向かって上ってみることにする。




 上の写真の左、ブルーの壁の建物の奥へと進んでいくと、すぐハルシュタットの観光サイトで見た覚えのあるレストランに
行き当たった。ちゃんと日本語のメニューが展示されている。そういえば昨日、土産物屋さんにも日本語のリーフレットが置いて
あったっけ。日本人はここでは上得意のようだ。

 


 ハルシュタットは、湖沿いの狭い土地に家がひしめくように建っていて、平らな土地はほんのわずかしかないので
山の斜面にしがみついているような家も結構多い。迷うような広い町ではないので、かまわず家の間にある階段を
どんどん上っていった。

 


 階段を上りきったところにツタの葉が1枚。ウィーン市内よりこちらはもっと紅葉が進んでいるかなと期待してたのだが、そうでも
なかった。これはそんな中で出会った貴重な赤い葉っぱだ。




 もう7時はとっくに過ぎているわけだが、家々から人の気配はあまり感じられない。薄暗いせいもあって、もっとずっと早い
時間に歩いているような気さえする。もっとも誰かに出会って、こんな時間から大きなカメラを持ってうろうろしているのを
怪しまれても困るのだが。そういえば、2年前のウィーンでもそうだったけれど、とにかく観光地でも街中でも大きなカメラを
持っている人をほとんど見かけない。写真というのはこちらではマイナーな趣味なんだろうか。

 昨日歩いたメインストリートはもちろん観光客が多く行き来するところだが、高台のほうは地元民のテリトリーらしく民宿らしい
建物も見当たらない。当然看板も何もない。どちらかというと古めのこじんまりした家ばかりが並ぶが、その家1軒1軒の風情も
なかなか捨てがたい。無造作に置いてある古い椅子やベンチがとてもいい雰囲気だ。

 

 


 さて、湖や町を見渡せる展望台?のようなところにたどりついた。背後は道路があって若干駐車スペースもあり、さらに
その後ろは切り立った崖になっている。家が建つのはこのあたりが限界らしい。岩の間から流れ落ちる水が滝となり、見下ろすと
その水が家の間を流れていくのが見える。そのまま湖に注ぎ込んでいるに違いない。 少し明るくなってきて、もうすぐ太陽が
顔をのぞかせそうな気配だ。山の高いところには少しずつ日が当たり始めている。

 


 湖と町のほうを見渡すとこのとおり。静かな朝の町、まさに絵のような風景だ。左の写真の右端、黄色い壁の建物が我々が泊まっている
ホテル、グリュナー・バウムである。その右のほうへと視線をずらしていくと、昨日その前を通ったペンション・ハルベルグが見える。

 

 まだひまわりが咲いているのが見えた。


 このとき時刻は7時半を少し回ったところ。ようやく山のてっぺんに当たり始めた日ざしが急速に広がり始めた。空の青さが
みるみるうちに濃くなって、気持ちまで晴れ渡っていくようだ。今日もいいお天気になるらしい。そろそろ戻ろうかということで、
目の前の階段を下っていった。さっき上ってきたのとは別の道だ。

 

 

 
 石畳の上になぜかハイビスカスの花が一輪。ひまわりとハイビスカスと赤くなったツタの葉と…なかなか季節の
歩みは一直線にはいかないようだ。




 たいして時間もかからずに昨日歩いたゼー通りの付近までたどりついた。もうすっかり明るくなっているが、相変わらずあまり人影は
見当たらない。朝食の真っ最中かな。歩きながら民宿?の2階を見上げたら、にゃんこに遭遇。こっちを向いてはくれなかった。

 


 グリュナー・バウムの前まで戻ってきたが、まだ朝食まで少し時間がある。中に入らずにホテルの湖側のデッキに出てみたり、周辺を
ちょっとスナップしてみたりした。昨日は夕方でもう薄暗かったけれど、今は頭上に真っ青な空、「世界一美しい湖岸の町」の名に
ふさわしい景色を目の当たりにすることができた。

 

 


 左下の写真はホテルのすぐ隣のプロテスタントの教会。右はそこからちょっと離れて建つカトリックの教会だ。オーストリアは
カトリックが断然多いのだが、ハルシュタットは割合が半々だとか。

 


 さて、さすがにおなかもすいてきたし、そろそろ時間になるし…と散歩を切り上げてホテルに戻った。気がついたら
時刻はすでに8時を回っている。では、といそいそとレストランに行ってみたところ、あれ?一番乗りみたい。
窓際の席は残念ながら予約済みのようだったが、それならと誰も来ないうちに急いで写真を撮らせてもらう。
惜しいなあ、ここに座りたかったなあ。

 


 我々が案内されたのは比較的入り口に近い席だった。朝食の内容はまずまずといったところかな。バターがきれいな花形に成型して
あったのがおもしろかった。相変わらずのおばけキュウリもちょっと皮に細工してあるところに心遣いが感じられる。

 で、食べていたところ突然猫ちゃん登場。食事をするところに動物!?と、驚いたが、どうやらホテルで飼われている猫らしい。その
あたりをうろうろしていたが比較的お行儀よく、食べ物をねだる様子もない。
 ただ、伸び上がってハムやソーセージのコーナーをのぞいていたのにはちょっとはらはらさせられたけれど、気づいたホテルの
従業員にすぐつまみ出されてしまった。そりゃそうだよね。

 


 朝食を終えたらもう9時過ぎ。船が出る時間まではあと50分ほどある。このきれいな部屋、窓からの景色ともう別れなければ
いけないのがなんとも惜しくてたまらない。急いで何枚かシャッターを切った。

 

 


 チェックアウト終了後、こんな時間からお店が開いているかどうか不安だったけど、昨日見たきれいな岩塩入りボトルをどうしても
もう少し買い足したかったので、ゼー通りを大急ぎで歩いていった。幸いお店は開いていて無事買うことができたが、頭上の
真っ青な空を見ているとついつい足を止めて眺めていたくなる。スナップももう少ししたかったな。時間を気にしつつも、
なおもシャッターを切る手を止められない私である。昨日は固く閉ざされていた教会の扉が開いていたのでのぞいたら、
牧師さんがミサの準備の真っ最中。そうだ、今日は日曜だった。

 




 船着場のすぐそばまで戻ってひと安心、出発まであと5分もない。が、どうもお客さんはのんびりペース、眺めている
我々が心配になるほどなかなか船に乗ろうとせずに船着場でくつろいでいる。やはりここは時間の流れ方が違うようだ。
はっきり覚えていないが、船は定刻よりやや遅れて出たように思う。




 出発すると名残を惜しむヒマもなく、みるみるうちにハルシュタットの町は遠ざかっていく。さよなら、ありがとう。また会おうね。

 


 短い船旅は今日もあっという間に終了、駅のそばの船着場ではすでに人がたくさん待っている。この人たち、今からだったら日帰りでの
ハルシュタット観光かな。列車の発車時刻までは10分少々、今日の我々の予定はここから20分ほどのバート・イシュルで途中下車、しばらく
ぶらぶらしてから13時54分発の列車でウィーンへ。夜は昨日会ったHさん、そしてこれまたウィーン留学中の同じく指揮者のMさんと
夕食をともにすることになっている。明日はもう帰国だから、今日が最後の観光だ。

 下の写真、駅の時計のそばにいるのは韓国人の若い女の子の2人連れと中国人のカップル。中国人のカップルは昨日塩坑で
一緒だったあの2人で、我々を見ると「ハロー」と声をかけてきてくれた。思わず「新婚旅行?」と聞いたら、そうではないと。結構あちこち
回っているらしい。この若さでこんなふうに旅行を楽しめるなんて、中国ではリッチな人たちなんだろうな。船では一緒ではなかったから
オーバートラウン(ハルシュタットの対岸の町)あたりに泊まっていたのだろうか。

 




 ふと足元を見たら、きれいな赤い実がいっぱい落ちていた。思わずいくつか拾い集めてみる。帰国してから調べてみたら
イチイだった。もみの木とよく間違われるという葉っぱとの組み合わせが美しくて、列車に乗り込んでからしばらく撮影に
没頭した(この実はバート・イシュルに到着後、植え込みの根元にそっと置いてきた)。




 バート・イシュルは決して大きな町ではないが、古くから湯治場、保養地として知られている。ハプスブルグ家最後の皇帝、
フランツ・ヨーゼフが毎年ここを訪れるようになってから飛躍的に発展、当時、特に夏になるとウィーンの社交界がそのまま
引っ越してきたようなにぎわいだったという(by ガイドブック)

 だが、私たちがバート・イシュルに降り立って最初に目にしたのは通りを走ってくるマラソンランナーたち。この日は
どうやら町のスポーツ大会でも開かれていたらしい。どういうルールになっているのかはわからないが、
男女、大人も子供も入り混じって次から次へと走ってくる。沿道で応援している人たちもにぎやかだ。

 

 時間の余裕は2時間半ほど。あまり駅から離れるわけにもいかないし、その間にお昼も食べなければいけない。ともあれ、走ってくる
ランナーたちを眺めながら町のメインストリートを歩いていく。一番大きな観光施設はカイザー・テルメという温泉施設だが、着替えて
温泉プールに入るのはなんとなく億劫だし、そもそも温泉の国から来ているのだから、別にここで入らなくてもね。

 ヨーロッパでは、温泉というと中につかるよりそれを飲むほうが主流だそうだが、その飲用泉を飲ませてくれるというトリンクハレは
日曜ということでお休み、土産物屋もあまり目に付かない。ランナーの応援に夢中な人々を尻目に、ともあれトラウン川沿いの
遊歩道のほうへ歩いていってみる。


 

 山から流れてくる水の美しいこと、きっと冷たさもかなりのものだったのではないだろうか。この水は地図で見ると
ハルシュタット湖を囲む山々から流れ出てハルシュタット湖に注ぎ、さらにこのトラウン川を経てトラウン湖へと
流れているらしい。下の写真は右が川上、左が川下で、ゼラニウムの赤が川や山の色と鮮やかな対比を見せている。

 

 


 歩いていく途中に市立博物館があって入ろうかどうしようかちょっと迷ったが、結局入らずじまい。ひたすら遊歩道をぶらぶら歩いて、
ベンチでちょっと休んで…実は興味は別にあった。皇室御用達だったという1832年創業のカフェ・ツァウナー、どうせ何か食べなければ
いけないしね。ということで、メインストリートにある本店ではなく5〜9月のみオープンしているというトラウン川沿いのカフェレストランの
ほうに入ってみた。写真は左が屋内席(のある建物)、右が川沿いのテラス席。天気がいいのでテラス席を選ぶ。

 


 時間はちょうどお昼時ということで、結構込んでいる。テーブルは空いていたからすぐ座れたけれど、ウェイターさんが
なかなか来てくれない。やっと来てくれて「英語のメニューがいいか?」と聞くのでもちろんそれを頼んでほっとしたのも
つかの間、そのメニューすら席に届かない。忙しく動き回る他のウェイターさんに合図を送ってみたけどまったくダメだ。
(後からこちらのレストランでは最初に頼んだウェイターさんが最後までそのお客の世話をし、チップを受け取ると
いうことを思い出した。このときも他のウェイターさんに頼もうとしたこちらが違ってる、ということだったのだろう)

 しばらくしてようやくメニューが届いたが、やはり2人とも食事をするというほどおなかがすいていないので私はケーキセット、彼は
なんとかいうチョコレートのお菓子(名前忘れた)を頼む。ケーキは店内に入って好きなものを自分で選ぶシステムになっており、
行ってみたが…んー、なんか強烈に甘そう。いかにもヘビーそうなケーキは遠慮し、かつ絵的に美しいものを選んだ結果ベリーの
タルトに決定。支払いはここなのかな?「ツァーレン、ヒア?」と英語ドイツ語ごちゃまぜで聞いてみたら、そうではなくて席に運んで
くれて後で一括精算らしい。やっとシステムが飲み込めた。

 相変わらず日なたは暑いくらいの強い日ざし、刻々と太陽の角度が変わるのでそれを避けてテーブルの周りを移動しつつ
運ばれてきたお菓子を味わう。紅茶のミルクはサービスだとばかり思い込んでいたが、しっかり別料金だったのには驚かされた。
 で、肝心のお味だが、これははっきり言ってイマイチ。彼のチョコレート菓子はデコレーションはさすが!なのに味は「フツー」との
こと。私のタルトは台のスポンジ?もゼリーも固めで口に入れてもしっかり抵抗が残るうえに、それぞれ本来の味わいというものが
感じられない。皇室御用達の老舗ということで期待していたのだけれど。日本のケーキのほうがずっとおいしいと思ったのは、私が
日本人だからという理由だけではないような…。

 

 


 とはいえ、晴れ渡った空、きれいな景色、雰囲気は満点のカフェで休憩するのはとても心地よいひとときだった。行く時間は
なかったけれど、ここはレハールやブラームス、ヨハン・シュトラウスなどもしばしば滞在、彼らの別荘や旧邸、記念館などが今も
残っている。古くから多くの人々に愛された澄んだ空気を満喫することができたのはやはり得がたい体験だったといえる。

 さて、時は移って予定している列車の出発時刻が近づいた。今夜はウィーンに戻った後、Hさん、それに以前やはりうちの
オケを指揮していただいたことのあるMさんと夕食の約束をしているのである。Mさんと会うのは何年ぶりだろう?ウィーン最後の
夜にこんな大きな楽しみが待っているのがうれしい。下の写真は先ほど通ってきたバート・イシュルのメインストリートである
バーンホーフ通り。ここを抜けると駅はもうすぐそこだ。

 


 列車の時刻に合わせて人がどんどん集まってきた。大きな荷物を持っている人が多いのは、やはりここが有名な観光地だからか。右の
写真は、ホームから進行方向を見たところ。この線路の先がウィーンへと続いているわけだ。

 
 
 
 列車は定時(13時54分)に発車、これでザルツカンマーグートへのミニ旅行は終わった。帰りの列車はたぶん大丈夫だろうと
あえて指定席を取らなかったのだが、乗ってみたら席は十分あるものの禁煙席のコンパートメントを行きのように独占することはできず、
窓際に座れなかったので写真はなし。まあ、車窓の風景はもう行きに堪能したのでいいだろう。どんな旅行でもそうだけど
帰りの乗り物というのはなんとなく倦怠感が漂い、無口になる。

 そして予定通り17時30分にウェストバーンホフに到着。今度は勝手知ったる駅、ゆうゆうと地下鉄のホームに向かう。Hさんとの
待ち合わせには十分時間があるから大丈夫…のはずだった。今回の旅行はアクシデントが多かったと最初に書いたけれど、
ここで待ち受けていたのがそれこそ思いもかけなかった最後のアクシデントだったのである。

 もうどの駅だか忘れてしまったけれど、のんびり座っていたらふいに機械ではない、人の声のアナウンスが流れた。ウィーンの
地下鉄も次の駅の案内などはあらかじめ吹き込まれた音声が放送されるのだが、あきらかにそれではない。が、もちろん何を言ってる
のかさっぱりわからない。
 何だろうと思っていたら、とある駅で人がどーっと降りていく。ええ?ここ終点じゃないよね??乗り込んでくる人もいるから、別に
このままでいいんじゃないの?わからないままきょろきょろしていたら、扉が閉まり、なんと次の瞬間電車は今来た方向に逆戻り
するではないか!
 ウソ!なんで!大慌てでとにかく次の駅で降り、ホームに貼られていたポスターを見たら・・・どうやら何か工事をするらしい。
さっきの駅で電車は折り返し運転となり、その先へはバスで振り替え輸送をしているとわかった(英語で書いてあった)。が、その
バスの乗り場がどうにもわかりにくい。どうしよう?!ああ、またHさんとの待ち合わせ時間が…!私はパニック状態。

 「よし、ウェストバーンホフまで戻って路面電車で行こう。」彼のひと声で次の行動が決定する。よかった一人じゃなくて。時間は多少
かかってもやっぱり安全第一よね。ということで、もう一度引き返して地下鉄〜路面電車と乗り継ぎ、ホテルについてから
大急ぎでHさんの携帯に電話した(Hさんからはウィーンの公衆電話のかけ方も伝授されてたけど、どうもイマイチかける勇気が
なくて、結局ホテルからしか連絡しなかった私である)。
 「あわてなくていいですよ〜」おっとりしたHさんの声にちょっぴり安心したけど、やはりお待たせしては申し訳ない。今日は彼女の
案内でウィーンで一番古く由緒ある、だけど比較的お手ごろなレストランに案内していただくことになっていたのである。それに
Mさんも来られるのだから、やっぱり急がなくては。

 予定時刻をすぎたものの、どうやら無事Hさんと落ち合うことができて、そのレストラン「グリッヒェンバイスル」へと向かった。ここは
なんと土台に2000年前の古代ローマ帝国時代の建造物を含み、1500年前から途中で名前を変えつつもずっとレストランとして
営業しているという由緒あるお店だとか。店内にはいろんな部屋があって、中でもマーク・トウェイン(かの「トム・ソーヤーの冒険」
の作者)の名を冠した部屋には彼を始め有名人のサインが壁中に書かれているという。

 私たちが通されたのは後から知ったところによると「Musikzimmer」という、1階の40席ほどある部屋である。席は外に向かって
開け放たれたドアのすぐそば、テーブルで一応境がしてあったけれど、屋外にも作られた席がよく見える位置で、その
屋外席もなかなかいいムードだ。 ツィターの生演奏が店内に流れるのがいかにもウィーンらしく、ぜいたくな気分。

 
 


 ウェイターさんはえらく陽気なおじさんで、こちらが日本人とみて英語で大声であれこれしゃべりながらサービスしてくれた。
今日はHさんがいてくれるからドイツ語でも平気なんだけどね。ここもやはりお料理の量は多いらしいが、複数でシェアするのは
まったくかまわないとのことで、安心して注文できた。写真は前回の旅行で味をしめ、ぜひもう一度飲んでみたかったシュトルム
(発酵したてのジュースみたいなワイン)である。



 しばらくしてMさんが到着、何年ぶりかしら? なんだかとってもおきれいになられたような。HさんMさん、お2人の近況あれこれ、
ウィーンでの苦労話からうちのオケでの思い出話まで、話は次から次へと続く。何年か前、Mさん以下団員一同思いっきり
飲みまくって「コニャックが麦茶のように…」という名言が残された「伝説の合宿」があるのだが、そのときの話になると、
「すみません、今だから言えるけどあの翌朝の練習、私何を言ったか全然覚えてないんです…」と申し訳なさそうにひとこと。
いえ、大丈夫ですよ、言われたほうも覚えてませんから(by T氏@帰国後の報告を聞いて)。

 あのとき、私ももちろんヘロヘロだったけど、Mさんは(つらそうだったけど)よくきちんと振ってくださるなあ、さすがプロ(の卵)!と
すごく感心した覚えがある。今やれっきとしたプロとして、勉強のかたわらイタリアへのコンサートツアーもされているとか、
まだしばらくこちらにいらっしゃるようだけど、日本に帰られたらまたぜひ振っていただきたい、ご一緒したいなあと思った。もちろん
Hさんもだ。この夏一時帰国されときに練習に来ていただいたことがあるが、まだわずか半年の留学ながらどこやら一回り大きく
なられたような、外国で1人で奮闘して身に着けた自信というようなものを感じた。
 伸び盛りのお2人、この翌日もレッスンが待っているとのことで、10時半を回ったころお別れした。楽しいひとときをありがとう
ございました。またぜひお会いしましょう、どうぞお元気でがんばってください!

 かくして、今回の旅行の予定はすべて終了した。明日は非常に出発が早いので、残念ながら前回のようにのみの市にふらりと…
なんてことはできない。でももう十二分だ。アクシデントは多かったけれど、いい旅行ができてよかった。それではいよいよ
旅行記も最終回へ…あとしばらくお付き合いください。



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