20日、いよいよ本日から行動開始である。まずは腹ごしらえとダイニングルームに向かったのだけど、前回に比べると今回は
数ランクダウンした感じ。見た目はきれいだけどおかずの種類は半分以下だし、内容も、うーん。
 しかも朝一番で行ったつもりだったのに、すでに団体客ご一行様で大混雑。窓の外を見れば、大型バスが2台も停まっていた。
タイミング悪かったかなあ。

 

 

 温かいおかずが欲しかったのだが、これは翌日スクランブルエッグとソーセージを発見。ヨーグルトに入れるフルーツの種類も
増えていたことを付け加えておく。団体客の混雑もこの日がピークで翌日からはさほどでもなかった。

 さて、いよいよ出発。最寄の地下鉄駅は「クリツィコバ」という。地下鉄の仕組みはウィーンのそれと似ており、24時間のフリー切符を
利用したのだが、改札の際は最初に自分で切符に日時のスタンプを押すだけで、後は何度乗り降りしても何もする必要がない。
1回券をこまめに買ったほうが割安といえば割安なのだが、1回券のほうは改札した時点から有効時間が限られていたり
当然そのつど買わなければいけなくてわずらわしいため、滞在中はずっとこの24時間のフリー切符を利用した(ウィーンも同様)。
最初は硬貨の種類を判別するだけで結構大変なのである。

 地下鉄は階段で降りていくところが少なく、ほとんどがエスカレーターなのだが、このスピードには驚かされた。先に乗った彼の後に
すぐ乗ろうとしても、あっというまに3〜4段間隔が空くくらい速いのである。 お年寄りとか小さな子供とか、大丈夫なんだろうか?
駅によって多少スピードの差はあったが、このクリツィコバのエスカレーターが一番速くて、最終日に大きな荷物を抱えて乗ったときは本当に緊張した。

 

 

 駅名のアルファベットの上の「記号」に注目。これはまだ読みやすかったほうだが、チェコ語は本当に読みにくく覚えられなくて困った。
同じわからないと言っても、ドイツ語はなんとか読むことはできる。この読めるか読めないかが理解のうえでこんなにも違うということを
今回初めて認識した気がする。 
 読める→発音し、頭の中にカタカナで思い浮かべることができる→意味あるものとして認識できる、という図式になっているのだろう。 
チェコ語は自分が今まで経験したアルファベットの発音があてはまらない場合が多いうえにアルファベットの上にちょんとつけられた
コンマやマル、チェック?も気になって、なおさらわからないのである。自分の行く駅の名前がすぐに覚えられないというのは、なかなか
つらいものがあった。

 というぼやきはさておき、今日の第一目的地はヴィシェフラド(プラハ旧城)。これは7世紀にプラハの現在の繁栄を予言したという
伝説の王妃リブシェが住んでいたといわれているが、、現在はプラハ城よりむしろ少し後に建てられたという説が一般的とのこと。

 まず出会ったのが17世紀の要塞の名残であるレオポルド門。ここをくぐってちょっと行くと、この城跡に残る最も古い建物である
聖マルティン教会のロトゥンダ(円形の礼拝堂)に出会う。これはプラハでも最も古いロマネスク建築物の一つに数えられるそうで
1100年頃に建てられたとのことである。写真は左がレオポルド門、右がロトゥンダ。
 ロトゥンダの石積みの壁はまさに歴史を物語るもので、何ともいえない趣が漂う。周りの緑との対比で、いっそうその色合いが
引き立ち、朝の斜めの光に照らされた様子は本当にすてきだった。

 

 ここを最初の目的地にしたのは、朝早くでも見学できる場所という理由からだったが、同じことを考える人が多いのか
まだ8時前だというのに結構人通りがあって、団体の観光客にも何組か出会った。が、喧騒めいたものはまったくなく、
むしろちょっと寂しいくらい。日本だったら必ずあるような休憩処や土産物屋の類がまったくなかったからだろうか。おかげで
静かな気分を妨げられることなく、今度はヴィシェフラド墓地に向かう。

 前方の塔は聖ペテロパウロ教会で、墓地はその右手にある。

 この墓地はチェコの国民的作曲家であるドヴォルザークやスメタナ、また画家のムハ(=ミュシャ)や作家のカレル・チャペックなどが
眠っている場所で、日本でいえばさしずめ青山霊園か多摩霊園か。墓地の入り口に案内図があったのを頼りに探したのがこの写真で、
左がドヴォルザーク、右がスメタナ。 区画ごとに番号があるところとないところがあるので、探すのに苦労した。

 

 実は私は10月22日にまた戸田響のコンサートにトラ出演、ドヴォルザークの「英雄の歌」と交響曲8番を演奏する。一方彼は
29日に新宿フィルのコンサートにトラ出演、スメタナの交響詩「我が祖国」を演奏する。そしてこの「我が祖国」の1曲目のタイトルが
「ヴィシェフラド」なのである。 
 まさか自分たちが演奏する曲の作者の国にはるばるやってきて、そのお墓の前に立つことになるなんて…断っておくが、それを
意図してプラハ旅行を計画したわけではなかった。それだけにいっそう感無量、どうか本番がうまくいきますように…合掌。
お参りしてからここを後にする。

 そしてヴィシェフラド内の庭園をぶらぶら歩いていくと、今度はヴルタヴァ川とプラハの街を一望できる場所に出た。ヴルタヴァ川=モルダウ、と
言ったほうがわかりやすいだろう。 そう、スメタナの「我が祖国」2曲目の流れるような旋律で有名なあの「モルダウ」川で、たちまち
メロディが耳元で鳴り始める。 これがホンモノのモルダウか…とまたまた感無量。
 左上の写真の建物はヴィシェフラド・ギャラリーで、この右手が小さな展望台となっており、景色が見渡せるようになっている。右上の
写真の中央付近にとがった塔のシルエットがあるのがプラハ城である。

 

 


 眺望を堪能した後はヴィシェフラドの城壁づたいにぐるっと回って街に下り、今度は次の目的地ベルトラムカへ向かう。ベルトラムカはいわば
プラハの「モーツァルト記念館」で、彼はオペラ「フィガロの結婚」を熱狂的に受け入れてくれたプラハを気に入り、しばしばこの地を訪れては
このベルトラムカに滞在したという。
 
 愛用の品々や楽器、遺品などが見られるという説明につられて足を運ぶことにしたのだが、これがなかなか大変だった。ベルトラムカは
かなり町外れに位置しているうえに、とにかく町中に案内というものが少ない&わかりにくい。地図を見ながらせっせと歩いたが、
だんだん寂しくなってくるし…この後ドヴォルザーク記念館を訪ねたときもそうだったけど、とにかく英語の表示というものがほとんどないので
記号みたいな(失礼)チェコ語の名前を一生懸命たどることになる。しかもそれさえほとんどない。頼むからせめて要所要所にもっと
わかりやすく表示しておいてほしいと思う。 

 写真は歩きながら撮ったスナップ。街中は歩道といわず車道といわず石畳が多く、それだけで歴史の重みを感じてしまう。建物は概して
古いものが多かったようだ。石畳と調和してなかなかよかったけれど、裏通りではいかにも荒れた、人の気配のない建物もかなり見受けられ、
社会全体の経済状態はどうなんだろう…と考えてしまうこともしばしばだった。

 

 
 

 さて、時間はかかったがどうやら無事に到着。左の写真の門をくぐるともう建物は目の前である。ここは敷地内のすべてがとてもきれいに
整えられていて、ちょっと横浜洋館に似た雰囲気だった。フラッシュをたかなければ撮影もOKとのことだったので、しっかり撮らせていただく。

 

 
 
 人はまばら…と思ったら、日本人の若者3人のグループがやってきた。やはり日本人はモーツァルトが好きらしい。ここは
英語と日本語のガイドブックが用意されていたが、英語版は100コルナなのに日本語版はなぜか180コルナもする。ええ?と
思って買わなかったのだが、今となってはやっぱり買っておいてもよかった気がする。

 プラハで見た建造物で、一番きれいに整えられていたのがここ、ベルトラムカだったかもしれない。が、逆に時の重みが
ちょっと希薄になってしまったかも…個人的感想だけど、モーツァルトの「気配」を感じるまでには至らず、きれいだったなーと
いう印象のみ強くして、ここを後にした。

 さて、時間はそろそろお昼時、例によってあまり空腹は感じないのだが、ひとまず街中まで戻ってお店でも探すかという
ことで、ぶらぶら歩いていく。もう道はわかっているので15分ほどで大きなショッピングセンターのあるところに到達。
軽食でいいよねーということで、手っ取り早くそのショッピングセンター内のお店に入ることにする。

 チェコはビールが安くておいしいとのことで楽しみにしていたのだが、やはりビアホールに行かねば堪能するほどまでには
いかないらしい。 それでも「らしい」ものを、ということで、写真は彼が頼んだ黒ビール(名前忘れた)と私が頼んだサラダ。
彼がツナサンドを頼んだので、私は生ハムのサラダを頼んだつもりだったのに、なぜか運ばれてきたのはツナサラダ…この
お店、英語はちゃんと通じてたらしいんだけどなあ。 めんどくさかったからそれでよしとしたけど、味はよかった。

  

 ここのショッピングセンターの大きさはかなりのものだったが、驚いたのはエスカレーターがスロープになっていたこと。ショッピング
カートで上下階に移動できるように、ということらしい。傾斜がゆるやかなぶん、長さは相当なものになる。さすがにスピードは
駅のそれに比べてゆっくりめだった。

 


 おなかが満足した後は本日の最後の目的地、ドヴォルザーク博物館を目指す。ベルトラムカを探したときと同様、少ない案内表示に頭を抱えつつも
どうやら無事到着した。 よく見ると建物の「表札」がはがれている。 有名観光ポイントなんだから、これくらいきちんとしといてよ…と思いつつ、建物の
外観と横の「看板」で確かにこれがドヴォルザーク博物館であることを確認、中に入る。

 

 何とも無愛想な受付のおじさんに入場料を払った後、写真を撮っていいかどうか尋ねると、カメラのマークがついたシールを取り出して
さらに30コルナを請求された。場所によってこうやって撮影料を取るところがあるのは知っていたので別に驚かなかったけど、そういうところでは
カメラを持っているだけで(しかもこんなに大きな目立つカメラ!)たぶん請求される、少なくとも撮るかどうかを尋ねられるだろうと思っていた。
商売っ気ないなあ…いや、こういう考え方は資本主義経済になれすぎているのかな。

 ベルトラムカと違って、ここはドヴォルザークの存在を生々しく感じることができたような気がする。もちろん、ドヴォルザークのほうがずっと時代が
後になるので、写真や彼が身につけた衣服、実際に使用したヴィオラやピアノ、直筆の楽譜など展示物が豊富だったおかげだとは思うが、ちょっと
暗めの館内の雰囲気、そしてなんといってもこのチェコを祖国とする、この風土で育った人物だという点もそう感じた一因だったかもしれない。

  

 

 館内ではずっと彼の音楽が流れていたが、ピアノトリオ「ドゥムキー」を聴けたのは懐かしかった。そういえばこの曲、レコードは持っているが
CDはない。学生時代に熱心に取り組んだピアノトリオでやろうと言いつつ果たせなかった思い出の曲である。 

 ひと通り見終わってから、受付のところに並んでいた楽譜やCDを手にとってみて驚いた。 私が7,8年前?かろうじて在庫の最後の1冊、もう絶版に
なりましたと言われながら買ったカルテット「糸杉」の楽譜が270コルナで売られているではないか! 日本円で約1300円くらい、えーっ、私あのとき
5000円近く払ったのに〜! これはもう一組買って誰かに売りつけるか…と一瞬思ってしまった(だけです)。
 他の楽譜もホントに安い。 ついヴァイオリンソナタを1冊(130コルナ)、スコアを1冊(150コルナ)を買ってしまった。いや、安いからと買うモノでは
ないのだけど。弾けるのかな、私…いや、これはプラハ記念としてがんばって練習します。 スコアのほうは思い出の「ドゥムキー」である。
 彼のほうは残念ながら欲しい楽譜に出会えず。

(後で知ったのだけど、このドヴォルザークの曲などを出版しているチェコのスプラフォンという会社が版権をドイツのペータースという会社に
譲り渡し、吸収合併されたとのこと。それで旧版を思い切り安く出していたのである。いつもこの値段で買えるというわけではなかったらしく、
ラッキーだったのかもしれない)

 本日の予定はこれですべて終了した。明日の夜、国立マリオネット劇場で人形たちによるモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」を観ることに
なっている(チケットは日本で予約済み)ので、その劇場の場所を確認がてら市の中心部まで戻ることにする。 彼はさっきの博物館の受付で
市内で楽譜を扱っている書店の情報もGETしたので、そこも立ち寄りたいらしい。

 市の中心部は旧市街広場となっており、ここはプラハでは絶対にはずせない観光ポイントでもある。書店は幸いすぐ見つかったので
楽譜をちょっとあさった後、その3階にあったカフェでひと休みした。なお、左上写真の奥は彼が頼んだアールグレーのアイスティーで、ビールを
ストローで飲んだわけではないので念のため。その他の写真は旧市街広場付近のスナップである。広場は翌朝にまた通ったので、
詳しい解説はそのときに。

 

 

 

 実は国立マリオネット劇場を探すのにまたまたかなりぐるぐると歩き回るはめになったのだが、繰り返しになるので書かないでおく。
教訓、知らない街を歩くときは必ず磁石を持参すること、大き目の地図を用意すること。ガイドブックにある地図は肝心なところで
ページが切れて、しかも縮尺まで変わるので非常に見にくかった。ウィーンのときは大丈夫だったと油断したのがまずかったようだ。

 旅行記の最初に、今回の旅行のキーワードは「アクシデント」と書いたが、道に迷ってばかりでくたびれたのが本日のいわば
「アクシデント」。 さらにこの後、相変わらずおなかの減り具合はイマイチ、濃厚なチェコ料理は食べられそうにないなあ、どうしよう、
でもせっかく来たのだから…などと考えながらスナップしていたら、なにやら地図を見ながら私を誘導していた彼が「わかった、あった!」と
有無をいわさず連れていったのがなんと「つきじ田村」プラハ店! 最初の晩から日本食ですか…はぁ。くたびれきった胃袋にお寿司は
確かに優しかったし、おいしかったけど、これも考えようによってはアクシデント。 おいしかったからまあいいんだけど。
(彼はにぎりの盛り合わせに入っていた「〆鯖」が絶品だったといまだに言っている)

 食事を終えて地下鉄の駅に向かいながら本日最後のスナップ、オープンカフェはまだまだにぎわっている。

 

 
 ところで、翌日はもしかしたら今回の旅行最大のアクシデントとなったかもしれない出来事が待ち受けていた。それも朝から。
それが何だったか…次回をどうぞお楽しみに。


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